茶色い人's ダイヤリーア

薬学生の現実逃避日記です。

GHOSTS 冒頭 和訳

 

GHOSTS ポールオースター

 

まず始めにブルーがいる。次にホワイトがいて、ブラックがいる。そして、そもそもの始まりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、コツを伝授し、ブラウンが年老いた頃、ブルーが後を継いだ。物語はそのようにして始まる。

舞台はニューヨーク、時制は現在。この両事実は今後も決して変わることはない。ブルーはいつものように職場を訪れ、デスクに掛け、何かが起こるのを待つ。しばらく何も起こらない。そこへ、ホワイトという名の男がドアを開けて現れる。物語はそのようにして始まる。

仕事はいたってシンプルに思える。ホワイトは、ブラックという名の男の追跡をブルーに命じる。必要が無くならない限り、それを続けてくれ、と。ブラウンの下で働いていた頃、ブルーは多くの尾行をこなしていたし、その件もなんらそれらと変わりはない。むしろ、それらよりずっと簡単かもしれない。

 

ブルーは仕事を必要としている。だからホワイトの話をきちんと聞き、余計な質問をしたりはしない。彼は今回の件を、浮気問題だろうと予想する。ホワイトは嫉妬した夫に違いない。ホワイトも詳しい話はしない。週に1度報告書を送ってほしい、と彼は言う。ここの住所に、2部ずつ、1ページ何行、1行何文字で。それからホワイトは、ブラックの住んでいる場所、容貌の特徴などを説明する。この件はだいたいどれくらいの歳月を要するのか、とブルーが尋ねると、わからない、とホワイトは答える。とにかく、次の指示があるまで報告書を送り続けてくれ、と彼は言う。

 

ブルーの名誉の為に言うなら、彼はこの時点で何か妙だな、と感じている。しかし不安を感じている、と言ったらそれは言い過ぎだろう。しかし依然として、ホワイトに関して不審な"何か"を感じずにはいられない。例えば黒いヒゲ、過度に濃い眉毛、そして異様なまでに白く、まるで白粉が塗りたくられているかのようなその肌。ブルーは変装術にも長けているので、そういったものを見破るのは朝飯前である。彼はブラウンの弟子だったのであり、全盛期のブラウンは、その業界でピカイチの存在であったのである。そこでブルーは、最初の考えは間違えであった、と考え始める。この件はおそらく浮気問題などではないのだ、と。しかし、それ以上は深く考えない。ホワイトはまだ彼に語りかけている最中であり、その続きの言葉に、ブルーはじっくりと耳を傾けねばねばならない。

TED talk①最良の意見が採用される体制を築く

 

 

 

要約(Summary)

 

人類が起こしてきた数々の悲劇(tragedies of mankind)は、どれも「誤った考えを正しいと信じ、それに気付かぬまま誤った判断を下してしまう」ということに起因する、と言っても過言ではない。

あらゆる組織において、「常に最良の意見が採用されるか」というのは重要かつ、とても難しい問題なのだ。

 

近年、様々な分野においてコンピューターによるアルゴリズムを取り入れる流れが生じている。なぜなら、コンピューターによる判断は人間のそれよりも遥かに速く、そして非感情的(less emotionally)であるからだ。

それはもちろん会議室においても例外ではない。徹底的な透明性(radical transparency)を実現したアルゴリズムを取り入れ、実際に大きな成果を上げたのがRay Dalioの会社である。

 

彼らは、会議等で行われる一個人のプレゼンテーションを、他のメンバーが1〜10点で評価するシステムを取り入れた。匿名ではなく、身分を明らかにしてこれを行う。その評価のデータベースが会議を重ねるごとに堆積し、アルゴリズムがそれを統合し処理することで「誰が理想的な判断を下せる人間(a critical decision maker)で、誰が信頼の置ける人間(a reliable person)か」というのが判明する。

 

このシステムが存在することで、社員は自分の意見を自分1人の目ではなく、全員の目を通して客観的に分析することができる。そして「私は絶対に正しい」という考えに固執することなく、「自分が果たして正しいのかどうか、全員に判断してもらおう」という正しい見地に辿り着く。この考え方こそが、その会社に成功をもたらしたのだ。

これは、誰の意見でも平等に評価される民主主義(democracy)とは異なる。常に最良の意見が採用される"能力主義(meritocracy)"である。

 

 

 

CITY OF GLASS 冒頭 和訳

 

CITY OF GLASS

ガラスの街 ポールオースター

 

全ての始まりは一本の間違い電話だった。深夜にベルが3回鳴り、受話器の向こう側の声が、「彼ではない何者か」の名を告げたのだ。随分と後になって、彼がその日起こった出来事について色々考えを巡らす余裕が出来た時、「偶然以外の何物もリアルではないのだ」と彼は結論付けた。しかしそれは随分と後になってのことである。

最初は単に出来事があり、そして帰結があるだけだった。それが全く違う風に展開されたかもしれないとしても、あるいはあの見知らぬ人間からたった一言発せられた時点で全てが決まっていたのだとしても、それはさして問題ではない。問題なのは物語それ自体であり、それが何かしらを意味するのかどうかは、物語の語るところではない。

 

クインに関して、我々が取り立てて知っておくべきことはほとんどないと言っていい。彼が誰で、どこの生まれで、何をしていたか、というのはさして重要ではない。例えば、彼が35歳だったことを我々は知っている。かつて妻がおり、子供がいたということ、そしてその両方がその時点で亡くなっていたということを我々は知っている。そして彼が物書きであったこと、正確にはミステリー作家であったということを我々は知っている。ウィリアムウィルソンという名で、1年に一度くらいの頻度でそれは出版され、ニューヨークの小さなアパートで倹しく暮らせるほどの収入がそれによって得られていた。小説に費やすのは5.6か月ほどなので、その1年の残りは彼の望み通りに時間を使うことができた。彼はたくさん本を読み、絵画を見、映画を見た。夏には野球を観戦し、冬にはオペラを鑑賞した。しかし、彼が何よりもこよなく愛したのは、散歩をすることであった。雨の日だろうが晴れの日だろうが、暑かろうが寒かろうが、ほぼ毎日と言ってよいほど彼は外出し、街をぶらついた。目的がありどこかへ向かっているというのでは決してなく、ただ単に、その両脚の赴くままに彼は歩いたのだ。

 

ニューヨークは飽くなき街、無限の歩みからなるひとつの迷宮であった。どれほど遠くまで歩いても、どれほどその周辺地理に精通しても、彼を襲うのは常に「迷子になった」という感覚であった。迷子というのも、街中で、という意味においてのみならず、「彼自身の中でも迷子になった」かのように思われたのだ。彼が散歩をするたび、あたかも彼自身が置き去りになったかのように感じた。街路の動きに身を委ね、そして彼自身を1つの目に還元することで、考えることの義務から解放された。そのことが何よりも彼に心の平穏を、神聖な空虚を彼の内にもたらしたのだ。世界は彼の外側にあり、周囲にあり、以前にあり、そしてその世界の変遷するスピードが、彼を長い間1つのことに留まらせることを妨げた。動くこと、それが何より肝心であった。一方の足をもう一方の足の前へ運ぶという所作によって、彼は彼自身の体の流れについていくことが出来るのだ。あてもなく歩き回ることによって全ての場所が等価と化し、彼がどこに位置しているのか、というのはもはや問題ではなくなる。散歩が特にうまくいった時は、彼は自分がどこにもいないとさえ感じることができた。そして結局のところ、その感覚こそが唯一、彼が望んだものだった。「自分がどこにもいないと感じること」。ニューヨークは、彼が自分の周りに築き上げたどこでもない場所であり、もう二度とそこを離れる気はないということを彼は実感しているのであった。